精神科薬物の服薬、あるいは投薬体験のある人々による主観的感覚を大切にした掲示板です。
これらの体験や感覚の集積が、今後の臨床に大きな影響を及ぼすでしょう。
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現在の精神科治療は、薬物を使用せずには、ほとんど行えなくなっています。
精神科医は患者さんに出会い、その患者さんの主観的な訴え・客観的な見立てを統合して、その患者さんの苦痛を軽減するのに最もふさわしいと考えられる薬物を処方するわけです。
しかし、この当たり前のことが難しい。
その難しさとは・・・
- 精神科薬物の性格を理解する
- 患者さんの病状を把握し、その病状にふさわしい薬物をマッチングさせる
そのいずれにおいても、独特な困難が伴うことだと説明できます。
薬物使用前に精神科医にまず与えられるのは、精神科薬物の薬理学的作用についての説明、そして、疫学的(統計学的)データの2つです。
薬理学的説明とは、脳内で薬物がどのようなメカニズムで働くかといった説明(仮説の場合もある)で、疫学的データとは、多数の類似した病状を持つ患者さんに、同一薬剤を均等に投与すると、どのくらいの割合で効果が現れるのか、副作用が出るかといった情報です。
これらの情報が重要なものであるのは言うまでもありません。
しかし、精神科薬物の薬理学的作用には、まだ未解明なものが多く、患者さんに用いられた結果から割り出された仮設の域を出ないものも多くあること、データはMass(集団)で調べられたもので、その結果を個々の患者さんの病状に直ちに当てはめられるかどうか未知であることなども踏まえておかなければなりません。
実際は「使ってみなければ分からない」ということが良くあるのです。原始的ではありますが、「薬物の手触り」こそが臨床におけるキモとなります。
すなわち「習うより慣れろ」というわけで、最終的には、大方の精神科医は自らの経験を当てにしているのが現状です。
実際に患者さんに処方し(あるいは自ら服用し)、試行錯誤を繰り返しながら、その薬物の持つ特色をつかんでゆく。この日常当たり前のように行われている行為を、「薬物の官能的評価」と名付け改めて評価し直してみたいのです。
具体的には、治療者・患者双方の五感を総動員して浮かび上がらせたもの(薬物の色・味わいといったもの)や、実際に使用してみた感触(薬効)、治療戦略における布置(他剤との使い分け)といったものです。
これは日頃おおっぴらに語られることがあまりなく、各々の精神科医の胸の内に秘められているか、非公式に医局の片隅などにおいて呟きあわれているのだろうと推察されます。
EBMの流行により治療者の主観が不当に過小評価されている感のある現在、あえてこれらの情報集積が成されてよいものと考えます。こうした方法論は生体のダイナミズムに対するには、いつの時代においても不可欠だと思われます。
また、もう一つ重要なことがあります。他ならぬ患者さん側の服薬体験についての感想です。もちろん、処方した精神科医は患者さんの持つ感想をすくいとって治療に反映させようとするはずですが、万全とはいかないものです。(精神科医は患者さんの体験を想像する能力に長けていることが多いですが、患者さん本人になりかわることは出来ないからです。)
治療者である精神科医と患者さんとの双方が、薬物を介した主観的体験を互いに持ち寄りあうことは、精神科医療全体にとって有益なことだと私は考えています。
上の趣旨に賛同される精神科医、ユーザー、薬剤師、他の臨床関係者にこのコーナーへ書き込んでいただきたいと思っています。
多数のご参加をお待ちしています。
*追記:ただ、このところ巷で見られる、一部のマニアによる精神科薬物の放埓(ほうらつ)かつ、乱脈な服用(私は「嗜薬」(しやく)と読んでいます)には、心を痛めています。このデータベースが、一定のモラルを持った方々によって共有されることを期待しています。
*「薬物の官能的評価」および「嗜薬」については、『精神科医になる〜患者を〈わかる〉ということ』の第1章および第5章に詳述しています。そちらもあわせてご覧頂きたいと思います。 なお、このコーナーは、皆様の問合わせに熊木が応じるものではありません。また、このデータベースの著作権は熊木に帰属します。あらかじめご了承ください。 |